ゴール

図書館に予約をして1年4ヶ月で順番が来て拝読。
ゴールの世界(全体)と現状の自我が認識できる部分との間に双方向性が働きゲシュタルトがつくられる。
この著書には釈迦は登場しませんが、釈迦は万物の重要度が等しく0%と認識した事で自我を定義した?認識した?らしいですが、釈迦もゴールを設定しながらその認識に至ったのかどうか。
ゴールは「全体」、自我の認識は「部分」。釈迦のゴールの抽象度は100%? 釈迦にはゲシュタルトも無くなった?
「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める! 苫米地英人/著