苫米地英人 著「認知科学への招待」を読んで、著者の他の著書の背景が分かるように思いました。
私の感想:
脳は脳を理解しようとし、それを記述し、外部化するのはなぜだろう。その事で便利になって行くが身体にとっては良い事ばかりでも無い。
脳を100%外部化できた時の世界はどんなだろう。何事も完全は無いらしいので100%の外部化は無いとすると、僅かに何かが残るという事だろうか。
僅かに分からない部分が残る世界はどんなだろう。それが情報の非対称〜ビッグバンみたいな?
超情報場は物理場を使って何をしているのだろう。グリッドコンピューティングのような事をしている?
超情報場とは脳そのものだったりする?
身体にしても、その身体が造る建築物にしても今の物理場は何かおもちゃのようにも感じるが、これも自分だけの現実か。
完全ー意識=現実
以下はこの著書の気に成る言葉の引用です。